東池袋大勝軒

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もりそば

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もりそば

taishoken03a.jpg山岸さんが営業中どうしても残る寸胴の中に残る麺を賄いとして工夫して食べていたところ、常連からの「オレも食べてみたい」の一言で世に出ることとなったつけ麺の元祖「もりそば」。もともとこちらのお店は中華そばがウリであったが、その中華そばのスープをベースに、どうしてもつけ麺のスタイルだとつゆが薄まってしまうことから甘酸っぱさを味のアクセントとして加えることで大勝軒の「もりそば」の味は完成した。豚、鳥、魚介など昔ながらに使われている素材で作られた醤油が効いたスープ。訪問前はやや時代遅れな昔ながらのオールドスクールな味を予想していたけど、食べてみたら意外やぼやけた感じのないバランスのよさで、安心できると同時に現在でも通用しうるおいしさだった。現場を離れてはいるものの、スープは必ず山岸さんが毎日味の確認をしているとのこと。
こちらの特徴として麺の量がかなり多い事でも知られ、やわらかすぎる気もするけど、このつけ汁には合っているとも言えるのかな。
つけ麺といえば今では濃厚魚介豚骨が主流で、時代の流れの中こちらのお店もほとんど行列することがなくなったと聞くけど、どこか安心できる昭和のラーメンの味はラーメンマニアがわざわざ出向くような店ではなくなったものの、全国各地で大勝軒の名が受け入れられているようにふらっと立ち寄りたくなる味として今もなお愛されているのが実感できる一杯であった。


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東池袋大勝軒

taishoken01a.jpg東京都豊島区南池袋2-42-8

神様のいる店「東池袋大勝軒」。伝説の行列店であった旧東池袋大勝軒は再開発による立ち退きの為、閉店。数年の時を歴てのれんを弟子が引き継ぐ形で現在の地に復活。「ラーメンの神様」山岸さんは現場を退いたものの、いまでも日によっては券売機の横で訪れるお客さんを温かく迎え続けている。山岸さんはつけめんのスタイルを日本で最初に発明した方と言われ、現在隆盛を誇る「六厘舎」や「麺屋こうじグループ」などつけ麺の名店と呼ばれるお店の礎となる多くの人材を輩出した。ただ、弟子の受け入れも寛容で山岸さんの優しさが仇となったのか、訳ありの者が訪れることが多いこともあってのれんを譲るのに特にお金も求めず、数ヶ月の修行で大勝軒の名前を使う許可などを与えていた場合もあったため全国各地に大勝軒の名を冠したお店が増殖。特にルールもなく独自に味のスタイルを変えることも出来るため、そのクオリティについてはまさに玉石混淆の様相を呈している。山岸さんの人となりについてはドキュメンタリー番組の「ザ・ノンフィクション」の取材を元にした「ラーメンより大切なもの~東池袋大勝軒50年の秘密~」が映画化されいまではDVDにもなっているので興味を持った方はドキュメンタリーとしても秀逸なので必見。純粋に旧東池袋大勝軒がそのまま受け継がれたのかと言われると微妙な気もするし、山岸さんがいるといないではこのお店に対する印象が大きく変わってくると思うけど、また昭和の面影を探しに再訪したいお店のひとつ。

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